豊臣秀吉・情報
別名 | 本吉 |
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生年月日 | 1537年3月17日 |
死没 | 1598年8月18日 |
氏族 | 木下氏→ 羽柴氏→ 豊臣姓 |
主君 | 松下之綱 → 織田信長 → 秀信 |
豊臣秀吉
私は豊臣秀吉ほど、人の心理を読む事に
たけていた武将はいなかったと感じています。
信長よりも怖さを感じています。
そんな豊臣秀吉の言葉には、強さ、冷静さ
怖さを感じます。
人それぞれ感じ方は違うと思いますが
是非、読んで何かを感じてください。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
降参した者を殺してはならん。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
どこへ逃げたって、日本全国は俺の庭だ。
気にしなくてよい。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
一歩一歩、着実に積み重ねていけば、
予想以上の結果が得られものだ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
戦わずして勝ちを得るのは、良将の成
すところである。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
人の意見を聞いてから出る知恵は、本
当の知恵とわいわない。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
それは上々、一段の吉日にござる。信長
公のために討ち死にするは覚悟のうえ
二度と生きて帰ろうとは思わぬ。さてまた
光秀の天命が尽きれば、大利を得て、思い
のままに国をもらい、この播磨の城に帰る
ことはないぞ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
障子を開けてみよ。外は広い。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
負けると思えば負ける、勝つと思え
勝つ。逆になろうと、人には勝つと
言い聞かすのだ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
信長公は勇将であるが良将ではない。
剛を持って柔に勝つことを知ってはお
られたが、柔が剛を制することをご存じ
なかった。ひとたび敵対した者に対して
は、怒りがいつまでも解けず、ことごと
く根を断ち葉を枯らそうとされた。
だから降伏する者をも誅殺した。
これは人物器量が狭いためである。人には
敬遠され、衆から愛されることはない。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
人と物争うべからず、人に心を許すべ
からず。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
家康は愚か者だ。が、油断のならない
愚か者だ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
人と物争うべからず、人に心を許す
べからず。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
やるべき事が明確であるからこそ、日夜
寝食忘れて没頭できるものだ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
財産を貯め込むのは、良い人材を牢に
押し込むようなものだぞ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これ
も又皆がいやがるところでの我慢があっ
たればこそよ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
いくら謙信や信玄が名将でも、俺には
敵わない。彼らは早く死んでよかった
のだ。生きていれば、必ず俺の部下に
なっていただろうぞ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
側に置いておそろしい奴は、遠くに飛
ばすのだ。
豊臣秀吉・名言・一言・格言集
一歩一歩、着実に積み重ねていけば、
予想以上の結果が得られるものだ。
感想
どうでしたか?
秀吉は身分が低いところから天下まで
辿りついた武将です。どうされたら
部下が喜び、どうしたら部下の
怒りをかうか、熟知していたと思います。
近くに自分を脅かすものがいたら、どう
接するか、自分の経験から分かって
いたはずです。現代を生きる経営者にも
勉強になる言葉がたくさんありました。
彼の足跡がこの現代に現在にも影響を
与えていいるのは間違いありません。
秀吉が天下を収めたことが後に
江戸幕府を開いた徳川家康にとって
よい経験になった事でしょう。
秀吉の言葉は本当に勉強になりました。
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